ここの管理人がこれまで乗ってきたバイクのインプレと当時の思い出なんかを交えながら、つらつらと書いていきたいと思います。
第一回は、ヤマハの原付オフロードバイク『DT50』です。管理人(以下、わたし)が最初に乗ったバイクです。
いやー、あまり良い思い出がない…。
1982年にヤマハ発動機が発売したクラス最高の7.2Psを発揮した水冷2スト単気筒エンジンの原付オフロードバイク。6速ミッション。
日本では1997年まで改良を続けて売られていました。
▼『猫とバイクと筑波山』さまの記事が『DT50』を詳しく紹介されています。
初期型『DT50』は速い!しかし、扱いにくかった…。
1980年代後半、高校卒業後すぐに原付免許を取得したわたしは、知人からDT50をゆずり受け、晴れてライダーとなりました。
DT50とは、ヤマハの排気量49ccの2ストオフロードバイク。わたしが乗っていたのは初期型だったのでメーターが80か90Km/hくらいまでありました。原付免許で乗れる2ストフルパワーってやつですね。
原付の法定速度は30km/h までですが、DT50は70〜80km/hぐらいまであっという間に速度が出てましたよ。速い。
しかし、DT50はせっかく速いのですがアクセルワークとクラッチの操作が敏感でシビア。扱いにくかった。
発進がとにかくやりにくい…。気をつかう…。
初心者にはピーキーすぎるエンジン…。
ピーキーなんてワードは久しぶりに使いましたよ。
DT50の発進(1速の場合)は、アクセルでエンジンの回転数(タコメーターあり)を少し上げて一定に保ってからクラッチをつないで発進するのがデフォ(そう聞きました)。アクセルを不用意にあけるとあっという間に回転が上がるのでアクセルとクラッチを合わせるのが難しい。
タイミングがちょっとずれると簡単にエンストやウイリーしてました。わたしのDTだけかと思ってましたが他の人がやっても、他のDT50でも同じ。
それに、わたしにとって初めてのバイク。運転技術がまだまだなこともあってとにかく扱いにくかったです。
たとえば、交差点の右折待ちからの発進でエンストなんて日常茶飯事。半泣きになりながらバイクを押して交差点から脱出。
また、信号待ちからの意に反したウイリー発進。周りから見たらイキってるみたい。おっかなびっくりでしたが。
はたまた、エンジンの始動(キック式)に失敗しまくってプラグがかぶってしまい、しばらく動かないということもよくありました。
そんなわけで、バイクを乗ってて楽しいということはなく、ストレスだけが溜まっていきました…。
※後期型のDT50は乗りやすかったそうです。そのかわりリミッターがついてます。
やはり『DT50』はオフロードバイク!
しかし、近所の山に走りに行った時は楽しかったですね。さすがはオフロードバイク。
わたしの運転技量がないにも関わらず、凸凹の激しい不整地でも、滑りやすい急坂でも、しっかり走っていくんですよ。
楽しい。
それに、山に入ると、アケビにヤマブドウ、桑の実といった食べられる自然の実がいっぱいなっているんです。また、地面には栗がたくさん落ちていたのでよく持って帰って食べました。山に入る楽しみの一つですね。
そうそう、落ちているといえば、この頃(1980年代)は山や川に○ロ本もたくさん落ちてました。山の中の朝露で湿った○○本って、なにか趣ありますよね。これは持ち帰りませんでしたよ?
そういえば、DT50って原付にしては車格が大きいんです。いまどきの150ccぐらいはあります。
しかし、乾燥重量が76Kgほどしかありません。わたしが乗っていたコンパクトな車体のグロム(125cc)の重量が102Kgだから、ガソリンやオイルの重さを考えてもDT50は相当軽いですね。
軽いオフ車というのは正義で、こけそうになった時、仕方なくバイクを降りて押す時、谷底から引き上げる時など、リカバリーしやすい。オフ初心者には本当にありがたい。
いまどきのバイクは環境や安全対策の部品がついて重くなってしまいました。DT50のような軽いバイクは今後出ないかも。わたしは、軽いオフロードバイクは電動になっていくのかもと予想しています。
『DT50』を乗らなくなった意外な理由…。
わたしにはDT50の扱いにストレスを感じて嫌気がさしていたことは間違いないのですが、乗らなくなった一番の理由は、通学で駅の駐輪場にバイクを停めていて、
しょっちゅうイタズラされたからです。
たとえば、タイヤの空気を抜かれる、シートを切られる、駐輪場から出されて少し離れた路上に移動されている(なんじゃそら)、倒されているなど。
他人のバイクもいろいろやられてましたが、DT50って他の原付と比べて大きいので目立ってたってのもあるかも。
盗まれなかったのは、不人気なオフロードバイクだったからでしょうね。
こんなことがほぼ2年の間に起こったので、自転車通学に切り替え。それからDT50にはほとんど乗らなくなってしまいました。
(自転車通学では2回もサドルだけ盗まれました。30分立ちごきてけっこうきついですよ)
不良と呼ばれる非行少年がたくさんいた時代
70年から80年代前半は校内暴力全盛の時代。荒(すさ)んだ子供がたくさんいました。
わたしが中学生の頃なんて、他校の生徒(中学生!)がメリケンサックをしてチェーンを振り回しながら徘徊しているので一人で下校するなと学校から注意喚起がでたりしてました。ちょっと極端かな。
それと、中学校の卒業式にはバスみたいな青色の警察車両とパトカー数台が校庭に停まってたり…。
わたしがDT50に乗っていたのは80年代の後半で校内暴力も下火でしたが、荒れた未成年者は校内でも校外でもまだまだたくさんいました。
「そういえば、(駐車場内で)すれ違う時に中学生くらいの不良と目があったな…」とか「あっちにたむろしてるヤンキーがいるなあ…」とかそう感じたら要注意。上記のことや、燃料コックOFF、キルスイッチなど、バイクから離れて戻ってくるとよくイタズラされていました。
なめられている!
19歳になっても女の子と間違われることもありましたし…。
昨今治安が悪くなったとか、日本人の質が落ちたとかよく言われますが、昭和のこの時代の方がよっぽど酷かったような気がします。活気があり悪いことばかりな時代ではありませんでしたが。
というわけで『DT50』を手放しました…。
わたしには扱いにくかったということと、イタズラが多かったので、DT50にはあまり良い思い出がありません。(バイク自体の評価とは全く関係ないですよね)
ただ、山の中をバイクで走ったことが新鮮で面白く楽しかった。
非日常的な、冒険のような、自分だけしかいない世界が心をワクワクさせたのかな。あっ、ポエム。
その後、DT50はどうなったのかというと、元の持ち主が「また乗りたいな〜」ということで3年ほどで返すことに。DT50にとってはそれで良かったと思う。
わたしはというと、DT50を手放して数年後、またバイクに乗りたい気持ちが強くなって中型免許を取得。今度はDT230LANZAというオフロードバイクを購入しました。
次回に続く。