『アゴなしゲンとオレ物語』の第357話『本塁打のトラッカー』(26巻)は、寂れたバッティングセンターに住み着く幽霊の女の子とゲンさんの交流を描いた一夏の物語。
いつものアゴなし~とは違って、ギャグはありませんが、ちょっと懐かしくて、ちょっと優しいお話になっています。
大変面白かったので感想を書きたいと思います。
- 以下、ラストのオチを書かないレベルでネタバレしています。
1998年から2009年まで週刊ヤングマガジン連載していた、平本アキラ先生のギャグマンガ。単行本は全32巻(ヤンマガKC)
零細運送会社の社長ゲンさんと、その社員ケンヂが繰り広げる、救いようがない日常をギャグマンガテイストで下品に描(えが)かれています。
作者の平本アキラ先生はTVアニメにもなった『監獄学園』も描いておられます。
『アゴなしゲンとオレ物語』第357話『本塁打のトラッカー』
『アゴなしゲンとオレ物語』は最終巻に近づくほど、絵の表現や物語の構成に試行錯誤がうかがえて、なかなか面白いと思います。
『本塁打のトラッカー』もその一つで、「音」と「時間」を画(え)の中に落とし込んだ巧みな表現方法で、読者を懐かしくてどこか寂しい世界に連れて行ってくれます。
そして、ゲンさんの心意気と優しさにジーンと感じ入ってしまうラスト…。
マンガが上手いとはこういう事
それでは、何がどう上手いのか、簡単に紹介してみたいと思います。
『本塁打のトラッカー』のストーリーの流れ
夏の甲子園決勝戦がラジオで流れている寂れたバッティングセンターで、高校球児に負けじとバットを振る主人公ゲンさん。
主人公ゲンさんは、性格も容姿も残念…というか最悪な32歳。
何が最悪かというと、幼稚園児に決闘を申し込んだり、弱みを握って脅したりするという大人げない性格だということ…。ただし、弱すぎて返り討ちに合うんですけどね。
そんなゲンさんですが、バットを置いてタバコを一服していると、ふと、「ゲームコーナー」と書かれたドアを発見します。
興味がわいたのか、暇つぶしか、ゲンさんがそのドアを開けて誰もいないホコリっぽい室内に入ってみると、そこには古すぎて誰も見向きもしないようなビデオゲームやコインゲームがたくさん置いてありました。
ゲンさんが懐かしい気持で新幹線というコインゲームで遊んでいると、いつの間にか幽霊のように足のない女の子がゲンさんの隣に…。
この世のものではない女の子に物怖じしないゲンさんは、コインゲームで遊びたそうにしているその女の子に、いつものように意地悪(オイオイ…)をします。
そして、ゲンさんは、ちょっと悪いことをしちゃったかな、と反省し、わずかな時間ですが女の子とゲームをしたり、コーラを飲んだりして、同じ時間を過ごします。
ゲームで遊ぶ手をとめて2人でコーラを飲んでいる時のこと。ふと、古くて寂れているバッティングセンターなのによく潰れないなぁ? と疑問に思ったゲンさんに、今月までで潰れてしまうことを女の子が伝えます。
ストーリーの流れはここまで。
残り4ページ。ここから先は、ゲンさんの活躍が始まります。ここから先はぜひマンガを読んでくださいね。
「音」「光と影」「時間」を画(え)の中に落とし込んだ巧みな表現力
以下は、私の勝手な解釈と感想になります。根本的に間違っているかもしれませんが、興味があったら読んでみてください。
作者は、「喧騒(けんそう)」から「静寂(せいじゃく)」という「音」と「光と影」を使った見事な場面転換で、主人公ゲンさんと読者を現実ではない世界に連れて行ってくれます。
▼ 「喧噪」。明るい日差しの下、興奮を抑えたラジオの声や、「パカン」と金属バットにボールが当たる甲高い音が本当に聞こえてきそうなワンシーン。ゆるやかだけどしっかり時間は流れている。
▼ 「静寂」。まるで時が止まってしまったかのような、暗い室内のゲームコーナー。
人は「喧噪」という時間の中で、世界の中にいる自分を認識し、外部からの様々な情報を目や耳などの五感を通して対話しようとします。
逆に「静寂」という時間が止まってしまったかのような中では、自分自身と対話します。「静寂」の中で叫んでみると、何も返ってこないか、返ってきても自分自身の木霊(こだま)だけ、というわけです。
誰もいない古いゲームコーナーという「静寂」の中で、ゲンさんが出会った足の見えない幽霊のような女の子は、ゲンさん自身なのか、「静寂」の中に入ってきた何者かだと思います。
確かなのは、この世のものではないということ。現実ではないのです。
この、「音」「光と影」「時間」を画(え)の中に落とし込んだ巧みな表現方法は、よく使われる手法ではありますが、マンガを描くためのすべての実力がそろっていないと、なかなか実現できるものではないと、『本塁打のトラッカー』を読んでみて改めてそう思いました。
女の子は何者なのか?
足の見えない女の子を見てゲンさんが「そうか・・・夏だしな」と言うシーンがあるので、死んだ女の子の幽霊なのかな? と考えられます。
確かにそうかもしれませんが、必ずしもそうとは言い切れないのではないでしょうか。
なぜそう思うのかというと、「静寂」の中でゲンさんと対話できるのはゲンさん自身か、「静寂」の中に入ってきた何者かだけということ。幽霊でなくてもいいと思います。
それに、幽霊は夜に出ますが、ラジオから流れる甲子園の決勝戦は3回裏なので、午後が始まったばかりの時間帯です。太陽はまだ頭の上ですから。(最近のコミックやドラマなんかは昼間でも出ますけどね。)
あ、それともうひとつ、時折見せる女の子の大人っぽい表情や口調。
おそらく作者は、時間が止まったままの「過去」を幽霊という形に具現化して、「色々な過去」を投影できるようにしているのだと思います。
すなわち「色々な過去」とは、女の子は、幽霊でもあり、寂れたバッティングセンターでもあり、懐かしいゲームコーナーでもあり、古いゲーム機(ここでは新幹線)でもあったりと。もちろんゲンさん自身のゲームコーナーで遊んだ記憶も含むかな。
ついでに言えば、「過去」がどうして幽霊という形に具現化したのかというと、子供っぽいゲンさんにはそう見えた、作者が「夏(=幽霊)」というワードに絡めた、作者が読者にとって不思議なものをイメージしやすいという理由でそうした、ということが考えられます。
とにかく「過去」を幽霊に置き換えることで、夏のレトロチックな静寂(=過去)を演出し、ゲンさんと女の子の交流の場面をさらに不思議な出来事にしています。また、物語の解釈に幅を持たせることもできて一石二鳥というわけですよ。
「過去」という時間を上手く物語に組み込んでいますよね。
そしてラストは…
ラストは後に残る響きを持った「静寂」の「画」で終わります。ラスト4ページのゲンさんの心意気とやさしさに涙しますよ。
『本塁打のトラッカー』を読んでみて、物語の顛末と感動のラストをぜひ味わってほしいですね。
子供の頃あちこちにあったバッティングセンター
私の少年時代、作中にあるような寂れたバッティングセンターが道路沿いにけっこうあって、どちらかというとビデオゲーム目当てにいくつかのバッティングセンターによく行っていました。
ギャラクシーウォーズ、ムーンクレスタ、スクランブル、ギャラガ、キングアンドバルーン….本当に楽しかったですね。
学生時代は京都の学校に通っていたので、「北白川バッティングセンター(スポーツランド北白川)」というところに毎日といっていいぐらい行っていました。私は見たことはないのですが、アニメにも登場したそうです。
とまあ、私を楽しませてくれた懐かしいバッティングセンターは、今はどれも残っていません。『本塁打のトラッカー』を読んでいると、当時の記憶がよみがえり、懐かしいのですが、なんだか寂しい気分に…。
でも、ゲンさんが最後にしたことは、女の子だけでなく、私にも救いになりました。
ありがとう、ゲンさん。